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その山は誰かがとっくに登っているよ
議論に関するエントリについたコメントの中に「その主張は誰かがとっくの昔に発見しているよ」というものがあった。誰かが既に考えたことを、自力で発見するのはしばしば滑稽であり、“車輪の再発明”と呼ばれる。無価値なものとされる。
しかしこれこそ思考=知識という勘違いの最たるものではなかろうか。誰かが既にそこにたどり着いていることではなく、自分が自力でそこにたどり着く ことに意義がある。テストの問題で「この答えは誰かがとっくに発見しているよ」と言ってどうするのだ(笑)? 自分でその問題を解くことに価値がある。こ れまで誰かが登った山を一つも登っていない登山者が、誰も登ったことのない山を登れるのだろうか。
大事なのは解決方法を知っていることではなく、解決方法を生み出せる能力の方だ。魚を与えるのではなく、魚の捕り方を教えろ、とはよく言うことだ。…
… 考えみれば“車輪の再発明”というのはもともと情報共有の大切さを説いたものだった。たとえばオープンソースのコミュニティのほぼ同じレベルのプロ グラマーたちに対して、たいして違わない似たようなアプリやライブラリを繰り返し各自が独自に作るよりも、もっとその開発力を新しいものの開発に割り振る べきではないか、と。
ところがいつのまにか未熟な人間や井の中の蛙(かわず)を批判する言葉として使われることが多くなってしまったように思う。
“言いだしっぺの法則”というのもあった。「このプログラムは○○が使いにくい、もっとこうしたら良くなるのではないか」と言ったら、言ったその人間が改良しろ、と。そのためにソースはすべて公開されているのだ。
これはその人間に全てを押し付けるという意味ではなく、周囲はその人間をサポートしろ、という積極的な意味だった。これによりそれまでリーダーなど やったことのない人間が、半ば強制的にリーダーをやるはめになり、仲間の支援を受けて、その中には才能を開花させていった人たちがいる。もともとは成長の 機会を与えるための言葉なのだ。
ところがこれもいつのまにか使われる場面が変質してしまったように思う。「文句があるなら自分で作れ、作れないなら文句を言うな」と。積極的な言葉がことごとく180度反転し、後ろ向きの言葉になってしまうのを見るのは悲しい。…
- なんだか自分が言いたくても誰にも言えないような、いや、そもそもそういう考えに陥りがちな勘違いを、このトピックはズバリ言い当てているようで、ドキリとされられるのだが、その反面で、同じ考えに至る人がいる(=車輪の再発明?)という安心感でスッキリしてしまう自分がいるのだった。哀れ。 (via ガジェット通信)

その山は誰かがとっくに登っているよ

議論に関するエントリについたコメントの中に「その主張は誰かがとっくの昔に発見しているよ」というものがあった。誰かが既に考えたことを、自力で発見するのはしばしば滑稽であり、“車輪の再発明”と呼ばれる。無価値なものとされる。

しかしこれこそ思考=知識という勘違いの最たるものではなかろうか。誰かが既にそこにたどり着いていることではなく、自分が自力でそこにたどり着く ことに意義がある。テストの問題で「この答えは誰かがとっくに発見しているよ」と言ってどうするのだ(笑)? 自分でその問題を解くことに価値がある。こ れまで誰かが登った山を一つも登っていない登山者が、誰も登ったことのない山を登れるのだろうか。

大事なのは解決方法を知っていることではなく、解決方法を生み出せる能力の方だ。魚を与えるのではなく、魚の捕り方を教えろ、とはよく言うことだ。…

… 考えみれば“車輪の再発明”というのはもともと情報共有の大切さを説いたものだった。たとえばオープンソースのコミュニティのほぼ同じレベルのプロ グラマーたちに対して、たいして違わない似たようなアプリやライブラリを繰り返し各自が独自に作るよりも、もっとその開発力を新しいものの開発に割り振る べきではないか、と。

ところがいつのまにか未熟な人間や井の中の蛙(かわず)を批判する言葉として使われることが多くなってしまったように思う。

“言いだしっぺの法則”というのもあった。「このプログラムは○○が使いにくい、もっとこうしたら良くなるのではないか」と言ったら、言ったその人間が改良しろ、と。そのためにソースはすべて公開されているのだ。

これはその人間に全てを押し付けるという意味ではなく、周囲はその人間をサポートしろ、という積極的な意味だった。これによりそれまでリーダーなど やったことのない人間が、半ば強制的にリーダーをやるはめになり、仲間の支援を受けて、その中には才能を開花させていった人たちがいる。もともとは成長の 機会を与えるための言葉なのだ。

ところがこれもいつのまにか使われる場面が変質してしまったように思う。「文句があるなら自分で作れ、作れないなら文句を言うな」と。積極的な言葉がことごとく180度反転し、後ろ向きの言葉になってしまうのを見るのは悲しい。…

- なんだか自分が言いたくても誰にも言えないような、いや、そもそもそういう考えに陥りがちな勘違いを、このトピックはズバリ言い当てているようで、ドキリとされられるのだが、その反面で、同じ考えに至る人がいる(=車輪の再発明?)という安心感でスッキリしてしまう自分がいるのだった。哀れ。 (via ガジェット通信)

— 3 years ago with 85 notes
#moutain  #climbed  #gadget  #re-invention  #wheel 
  1. daisukeh posted this